その行為、気遣いか?マウンティングか?

お金にまつわるあるあるです。


レジの前で主におばさま方が繰り広げる
「いいわよ出すから!」
「いいわよ悪いわよ」
「いいから」「いいから」
っていう、「いいから合戦」。(いま名付けた)


わたしも経験があります。
あのやり取り、疲れるのできらいです。


タイトルにもある通り、
お金を余分に出すことは、
果たして相手に対する気遣いなのか?
それとも、暗にマウンティングしているのか?


そんな気分になって、
あとからモヤモヤと考えてしまうこと
ありませんか?


割り勘や自分の分だけ払うなら
そんな思いをしなくて済むというのに。

 

ちなみに、ここでいうマウンティングとは

(元の意味が転じて)

自分が相手より上であることを

相手に示そうとすること、

なんだそうです。

 

最初のやりとりも、
お金じゃなかったら、一言「ありがとう」で済むんです。

サラダを多めによそってもらった「ありがとう」
切り分けたケーキの大きい方をくれた「ありがとう」

それは気遣いや思いやりとして素直に受け取れます。


でも、お金となると
とたんに受け取るのが申し訳なくなり、
素直に「ありがとう」だけで
済ませることができなくなるのはなぜでしょうね。


その理由は、
お金は力加減を明確に示すからです。

 

そして、
人付き合いにおいて
「いいから合戦」をしなくてすむ間柄は
付き合っていて心地がよい。


そのため、
どっちが上とか下とか意識せずにすむので
対等の位置にいるという安心感から、
健全な友情が保てます。


一方で、
「いいから合戦」をやってしまう間柄の方達は、
友人とは少し違う気がします。

上下を意識してしまうんですね。


たまに家族同士で外食をしたときなんかに、
お金を余計に出そう出そうとする人がいますが
(うちの主人がそうです)
上下関係もないのになぜ
余計に出したがるのか、
わたしには理解できませんでした。


もしかして、学生の頃の部活などの上下関係や
先輩後輩のシステムに慣れ親しんで来た人たちは
そういうところを今でも意識してしまい
こういった気遣いの仕方をしてしまうのではないかと思います。


わたしにはそれが、どうしても
マウンティングに見えてしまうんですが。


明らかに目上の方であれば、
それは気持ちよく奢られてOKです。

出した方も、素直にお礼を言ってもらえた方が
自分は頼られていると感じられるでしょう。

「ここは私のおごりで」と言ったにも関わらず、
「いや。自分の分は自分で出しますよ」
なんて後輩に言われたら、あまり可愛くないですよね。


お金は力加減を表すには
わかりやすいものさしです。
使わなくていい時には使わない方が、
円滑な人間関係を築くことができます。

 


おしまい